SSブログ

親はなにを信じればいいのか - 子供を守るには [◆私見!!]

小学生が悲惨な事件の犠牲者になる事件が続いています。

つい最近も、どうしたら子供を守れる社会を作れるのか……ということについて、記事を書きました。

『子供を守る! - 誰が? どうやって?』
http://blog.so-net.ne.jp/mahoris/2005-12-06

要約すると、防犯グッズや大人のガードなどの手段で、当面の悪意の発動を食い止めようと。
一方で、心の豊かな家庭を努力して維持し、新しい悪意が育ちにくいように(子供が将来の犯罪者にならないように)しようと。
それくらいしか思いつかないと……。

その記事の中で、奇しくもこんな文章を書きました。
『子供とできるだけ一緒にいてやる、いろいろ経験させてやる、喜びや悲しみを共にする、学校・教師などの他人を頼らない……といった普通のことが、できにくい社会になっています。』
京都・宇治で塾講師が生徒を刺殺したのは、この中で 【学校・教師などの他人を頼らない】 と書いてから4日後でした。

私がこの文章を書いた主旨は違う意味だったんですが、他人を信用できない世の中になったことは実感せずにいられません。

『無作為にキケンが襲ってくる』 という現状は、太古の時代みたいですね。
肉食獣や社会の強者によって理不尽に生命を奪われるキケンがあった頃に似ています。
いくら法律があったって、幼稚であったり、冷静さを失っていたり、常識を持ち合わせなかったりする人間には、なんの効き目もありません。

そういうキケンな人間は、ごくごくふつうの社会にまぎれて生活し、徐々に増殖しているようです。
そして彼らは、より弱者(=小学生など)を狙います。
社会がこうなりつつある状況を踏まえて、親自身が社会に適応しなければ、子供を守ることは難しいだろうと思います。

今回の塾講師の事件で、報道のインタビューで複数の親御さんがこう答えています。
『なにを信用していいのかわかりません……。』
『安全な場所はどこにあるのか……。』

安全なのか、キケンなのか? 信用できるのか、できないのか?
そういう、『ゼロかイチか』 『右か左か』 みたいな考え方は、通用しないんじゃないかな……と思います。
悪意を持つ人間が普通の顔で生活しているんですから、日常の生活圏にもキケンはあると考えるべきです。

親が唯一信じられるのは、自分自身じゃないでしょうか。
親が子供を守るためには、できる努力の中で、どれだけのキケンを払ってやれるか、それを選択せざるを得ない社会のようです。
子供のために、やろうと思ったこと・正しいと思ったことは、行動していいんじゃないかな……と思います。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。