拉致監禁と児童虐待の符合が示す社会病理 [◆私見!!]
今日は、重いことを書きます。
発想の起点はニュース系ですが、内容は雑感系です。
最近、拉致監禁事件が妙に多いと感じませんか?
『ご主人様』と呼ばせていた首輪の男・小林(東京)。
『好きにならなければ殺す』と脅迫していた手錠の男・川本(大阪)。
その前後には、女が女児を7時間連れまわした、なんてことも(神奈川)。
一方で、児童虐待も多いんです。
この1週間で、複数件数の逮捕がありました。
5歳(5年前)の女の子を全盲にさせてしまった両親のほか、2歳に満たない子どもの頭を蹴って意識不明に追い込んだバカ親父も。
アンコントローラブルとでも言うべきでしょうか……パワーではなく、精神面の。
浮き彫りになる符合は、ふたつあるような気がします。
ひとつは、『自分が主体の理想環境の利己的な構築の実践』。
もうひとつはそのために用いる手段で、『建設的(合意形成)ではなく破壊的(脅迫や束縛)』であることです。
これって、こういう人たちだけの問題じゃないと思います。
例えば、肉体も精神も健全なのに、勤労意思(必ずしも意欲ではありません)のないゴミども。
例えば、JR西日本の社員達に対して暴言・暴行を浴びせるクズども。
例えば、NHKに文句をつけながら、受信料を払わずに(ここまでならまだわかるけど)堂々と視聴を続けているバカども。
みんな利己的な正義感を振りかざし、破壊的手段でそれを実践しながら、後付けで自己満足の理論を形成して、破壊行為を正当化しているヤツらだと思います。
程度の大小や発現の仕方は違いますけど、根本的な部分は同じなんじゃないかと。
日本社会に信じられないような政治・事件が横行しているのは、そこにこういうヤツらがいっぱい住んでるからではないかと思うんです。
だけど、こうも思うんです。
そういうヤツらが多ければ、その価値観が社会正義になるのかもしれない。
正義などというものは、必ずしも恒久的で普遍的な特定の価値観によって成立しているワケではないのだろう、と。
こうなってくると、正義を考えるのもバカバカしくなってきます。
結局、どれだけ考えても、なにも結論は出ないのでしょうね。
自分の価値観に根拠のない自信を持ちながら、日々を過ごすのが一番なんでしょうね。
破壊的ではなく、建設的に、ね。
お久しぶりです。
正義とはやはり仮面ライダー響鬼?
それが民主主義社会というものか?
日本ってこのまま腐っていくのでしょうか?
人ってこんなに弱いものなんでしょうか?
そうは思いたくないっすね。
みんなの心の中にそれぞれのヒーローがいるんだから。
by さんた (2005-05-28 20:20)
さんたさん、コメントありがとうございました。
まいどどうもです~。
blogをしばらく更新されなかったようで、勝手に気をもんでたんですが、安心しました、ハイ(汗)。
また遊びに伺います。
あれからも、ちょっとこのテーマを考えたんですが……。
こういうことがニュースになること自体、社会の主ではない=世間はこのような問題を社会悪と判断しているのだろう、と思いました。
そう考えると、ちょっと救われます。
自分の身のまわりの小さいことからでも、よくしていけるといいですねぇ……。
by みみちゃん (2005-05-30 21:34)