いのち - Flashを作る中で感じたこと [ ┣ マイスタイル]
いちお、今日の記事は、Flashリリースではありません。
Flashを作る最中に、あることがキッカケで感じた、ひとりごとです。
心を動かされたので、記事にしたいなーと思って。
長編Flashを作るとき、まず最初に別のFlashを作ります。これは設定資料です。シナリオを書いたり、キャラクターを固めたり、ガジェットを決めたり、背景をデザインしたり、曲を聞けるようにしておきます。これができたら、本編のFlash作成にかかります。
で、いま作成中の物語。その設定資料Flash作成中の段階です。
キャラデザインのモチーフは、いつも実在の役者さんでイメージに合う人を探します。
今回は、話の中に少年が出てくるんですが、そのルックスイメージのモチーフを決めるために、いつものごとく、膨大な量の画像をググって眺めていました。その中でピン!と来たのが、若手俳優の柳浩太郎さん。
その柳浩太郎さんをWikipediaで調べてみると、命の危機に瀕した経験を持っている。
ご本人のblogを読んでみると、ぽつりぽつりと書いてある言葉の中に、ものすごく重い意味が込められたものがある。
そうだよね……、
自分の命って、自分だけのものじゃないんだよね。
だけど、たぶんみんな考えてもわからないと思うよ。
なにかの犠牲と引き換えに、はじめてそれに気づかされる。
それは想像では出てこない。言葉でも伝わらない。
論理では説明のつかないものだから。
俺も娘の命を失って気がついた。
そういうものじゃないかな。
だけど、人間は誰でもワガママ。
他の個性に縛られることなく、自由でいたいと思う。
他者との連帯と個人の自由は、ときに相容れない。
ときに矛盾するから、悩み、苦しみ、もがくんだ。
俺自身も、いままでときどき悩んでいた。
なにか整然とした答えが見つかるんだろうか、と。
きっと見つからないんだろう。
でも、それでもいいのかもしれない。
思い切って二面性を許容するほうに考えを改めれば、
人生はすごく楽しいものになるのかもしれない。
もしかしたら、『死の恐怖』もそうかもしれない。
ゼロの絶望ではなく、終わらせ方の楽しみがあるかも…。
こんなことを考えたのは、初めてだ。
モノの見方が、ちょっと変わった気がする。
あなたの言葉をキッカケに、たったいま新しい人生探しが始まった。
まだ柳浩太郎さんの役者としての仕事は見たことがないけれど、今度機会があったら、ぜひ観てみたいと思います。俺にどんなメッセージをくれるのか。
……意外な出会い(?)でした。
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