★★★★★ - DVD『オリエント急行作人事件』 [ ┣ TV・映画・DVDレビュー]
『絶対俺では勝てない』
娯楽作品の傑作を紹介します。
今日は、
『オリエント急行殺人事件』
のレビューです。
もう、文句なしに★★★★★です。
これを観るたびに、敗北感に襲われるんだよなあ……。
※途中からネタバレしますが、まだ続きを読んでも大丈夫です。
オリエント急行殺人事件 スペシャル・コレクターズ・エディション
- 出版社/メーカー: パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
- 発売日: 2006/02/24
- メディア: DVD
まず、あらすじは ↓ の通り。
1935年12月某日、国際的な名探偵エルキュール・ポワロは、中東での事件を解決し、ロンドンの別の事件の捜査に向かうため、イスタンブール発カレー行きのオリエント急行で、ヨーロッパに向かおうとしていた。
しかし、当のオリエント急行の一等寝台車は、いろいろな国・さまざまな立場の乗客で、季節はずれの満席だった。
友人であり鉄道会社重役のビアンキの命令で、半ば強引に一等寝台車に乗ることができたポワロ。
そのポワロは、偶然乗り合わせた一等寝台車の乗客であるアメリカの富豪・ラチェットから身辺警護を依頼されるが、興味を持たず断ってしまう。
列車はユーゴスラビアに入り、『死の静寂』の夜を迎える。
翌朝、豪雪で立ち往生する列車の中で、ラチェットは体にいくつもの刺し傷を刻み、刺殺死体で発見された。
プルマン車に同乗していたビアンキは、この事件解決をポワロに依頼する。『警察が私の列車の乗客に事情聴取するなど耐えられない。なんとしても次の駅に着くまでに、君が事件を解決するのだ。』と。
雪で閉ざされた列車の中、科学捜査どころか警察の手も及ばない状況で、たまたまプルマン車に乗り合わせていたコンスタンチン医師&ビアンキの助力を得て、ポワロの『灰色の脳細胞』が動き始める。
俺はあんまり活字を読まない人なんですが、エルキュール・ポワロのシリーズは、初作の『スタイルズ荘の怪事件』から、アガサ・クリスティが全盛期に書き、ポワロシリーズの幕切れとして最後に出版した『カーテン』まで、全部読破しています。
それと、エルキュール・ポワロの映像化作品はいくつか見たことがありますが、本作以外はどうもダメです。他の作品は、どうもポワロのイメージが違う。逆に本作のポワロがダメな方も多いようですが、俺はこれにハマった。
本作でポワロを演じたアルバート・フィニーは、確か当時30代後半の、外見的にも普通の俳優。最近では『オーシャンズ12』にも出ているとか(まだ観てないけど)。
この役者が、年にして20歳も上の設定の『卵形の頭で、小柄で、小太りで、潔癖症で、身なりにうるさく、決して好人物ではないベルギー人』のポワロにどうやってなれたのか……はわかりませんが、俺個人の感想としては、役者として彼のポワロに勝るものは、いまだかつて観たことがない。
一目で、『あ、ポワロ』とわかる;;;。
たぶん、役作りの他に、腹や背中にモノを詰めたり、肩パットを何枚も仕込んだり、いろいろと試行錯誤があったんでしょうが、それだけの甲斐はあったというものです。
ただ、エルキュール・ポワロというキャラクターをご存じない方は、その独特の個性に戸惑うかもしれません。
奇妙なほど滑稽な外見。決して好人物ではない。徹底した潔癖症。シンメトリーにこだわる神経質。極度の美食家。(生活費や遊興費には困らないので)お金ではなく興味で仕事を受ける。人種によって偏見はないというが、冷淡な観察眼でいつも人を見ている。興味があるのは犯罪のみ。TPOに応じて臨機応変に態度を変えるが、その根底には一貫した犯罪解明への欲求のみがある。それがポワロです。
ミス・デベナムがイスタンブールで口にした"What a funny little man."がポワロのイメージを的確に捉えています。
原作はもちろん、豪華なキャスティング、役者の演技を最大限に効果的に見せる演出、豪華さを追求したアートワーク、殺人が起こる列車をワルツで踊らせるように奏でる音楽、どれをとっても一級品。
アルバート・フィニーをはじめとして、ショーン・コネリー、イングリッド・バーグマン、ローレン・バコール、アンソニー・パーキンス、ジャクリーン・ビセットらの豪華キャストを観るだけでも価値がありました。
ちなみに、残虐なシーンはありません。スリリングなシーンもありません。サスペンスや推理モノというより、娯楽モノですね。
また、原作『オリエント急行の殺人』に、ほぼ忠実です。ちょっとだけ違うところがありますが、個人的には、原作から映画向きに、いいほうに変えてくれたと思います。原作も傑作だと思いますが、この映画も映画として傑作だと思います。
↓注意!
↓
以下ネタバレです。
優れた作品に共通することですが、この作品にも脚本に適度な遊びの余裕の部分があり、観終わった後も空想を楽しませてくれます。
完璧と思えるこの作品にも、推理モノの視点で見ると、大きな遊びが2点だけあります。
まず、12の刺し傷にも関わらず、第2の仮説の容疑者は13人いたこと。
全員が共犯とする第2の仮説では、ひとり数があわない。
これは、殺人シーンのポワロの推理の中では、アンドレニイ伯爵とその夫人・ヘレナが、ラチェットに対してふたりでひとつの傷を負わせたことになっています。
ところが、ポワロがそう推理した根拠が提示されていない。
フォスカレリ氏の素性の推理のとき、ポワロは『雪で閉ざされた中では推測が精いっぱいだ』と述べていましたが、もしかしたらアンドレニイ伯爵夫妻の件もそうなのかもしれません。
ふたりでひとつの刺し傷を負わせる可能性があるのは、アンドレニイ伯爵夫妻/アーバスノット大佐&ミス・デベナム/ドラゴミロフ公爵夫人&ヒルデガルド・シュミット、くらいしか考えられない。
あの場にいた人物の中で、おそらく力が弱いのは、ドラゴミロフ公爵夫人/ミス・グレタ・オルソンの2人でしょう。実際、浅い刺し傷は、2つしかなかった。
凶器のナイフは特定されていたし、力の強い者が浅い傷を付けることはできても、力の弱い者が深い傷を刻むことは困難。これでドラゴミロフ公爵夫人は外していい。
ここで、アーバスノット大佐&ミス・デベナムの組み合わせが、ふたりでひとつの傷を負わせたと考えると、心理的な解釈が困難になる。
いずれも各々別々の立場でアームストロング家とつながっていたから、個別の動機があるワケです。
一方、アンドレニイ伯爵は、乗客の中で唯一、デイジー誘拐事件当時のアームストロング家と直接のつながりを持たない人物です。彼はアームストロング大佐の義妹ヘレナと結婚することで、義弟となった。
そうなると、ヘレナの思いを伯爵がサポートしたと考えれば、納得がいく。アンドレニイ伯爵夫妻が、ふたりでひとつの傷をつけたと考えるのは、不自然ではありません。
もうひとつ、現場にドラゴミロフ公爵夫人のハンカチーフが落ちていた。
このハンカチーフの持ち主については最後の謎解きのシーンまで明かされず、かつハンカチーフが落ちていたのは犯行時の単純なミスによるもの(再現シーンで手から落としている)と推理されていますが、これについてもポワロがそう推理した根拠の提示がない。
ただ、これは第1の仮説の容疑者(虚像のマフィア)が残した証拠としては、ひどく傾向が異なるものでした。
他の(物的&状況)証拠が大柄の男性を示唆しているのに対し、その中に高価な女性用のハンカチーフがあったのですから。
なので、殺人と関係があるかどうかはともかく、なんらかの理由で一級寝台車のうちの誰かが犯行現場で落としたもの……とポワロは直感したのでしょう。
しかし、誰もがその所有者であることを否定する。ここで決定的な不整合が発生する。ポワロがもっとも嫌悪感を覚える、説明のつかない事態です。
もしかしたら、これがポワロの第2の仮説の出発点かもしれません。そういう描写はありませんでしたが。
それから、原作と大きく異なる点。
原作を読んだのはずいぶん前なので、記憶違いがあったらすみません。
俺の記憶が間違えていなければ、原作では、劇中の登場人物(=第2の仮説の容疑者たち)が、ポワロのまいた種に反応し、物語の中盤以降、みずからアームストロング家との関係をポワロに進言してきます。
つまり、ポワロは尋問でまいた種に水と肥料を与え、第2の仮説の容疑者たちに勝手に実がなって、その実が勝手に自分のところにやってきたワケです。ポワロはその実で推理を完成させた。
いわば、
原作は農耕民族的ポワロ。
これに対して、映画版のポワロは、常に尋問のときにトラップをさりげなく仕込み、第2の仮説の容疑者たちが包み隠そうとする真実を、みずからの推理でひとつずつ射抜いていきます。
いわば、
映画は狩猟民族的ポワロ。
これが大きく違う所じゃないかな。
映画としては、後者のほうが向いていたと思います。
『名探偵 みなを集めて さてと言い』
のクライマックスを、ドラマチックに盛り上げることができた。
最後に、ポワロらしくない結末。
彼は徹底的に犯罪者を憎みます。ところが、本作ではポワロが良心の呵責に苦しみながらも、2つの仮説を導き出す。そして、そのどちらを取るか、鉄道会社重役のビアンキに選択権をゆだねる。
ポワロとしては、ビアンキに選択権を預けた時点で、どちらを取るかの結論は確信していたでしょう。
犯罪を徹底的に憎むポワロが、真相を隠匿するのは珍しいことです。最終作『カーテン』では、自分の生命を犠牲にしてまで、犯罪者を追い詰めた。そういう意味では、本作は(原作の段階から)ポワロシリーズの中でも異質と言えます。
とりあえず、作品自体が古いので、いろいろと古臭い手法が使われているのは確かですが、ポワロの行動のみを軸に、ドラマをここまで盛り立てる手腕は大したものです。
原作のアガサ・クリスティはもちろん、
監督のシドニー・ルメットは偉大だ。
主演のアルバート・フィニーも偉大だ。
これもまた一生観続けるDVDだと思います。
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